張承志3
大越輝雄氏からの寄稿です。以下転載


はじめに



 昨年124日 の東京新聞辛口文芸批評「大波小波」に「元紅衛兵の日本論」と題して本書が紹介されていました。「日本赤軍の重信房子まで論及して満州国と大アジア主義を 論じた真剣勝負の日本論」との触れ込みだったため、実際に読む前には巷間言われているように、国家主義者であった重信氏の父親に絡めて、よど号ハイジャッ クなどに典型される壮士的な傾向を論じているのではないかと思っていました。

当時の関西ブンドは特に日本共産党との対峙から戦後(ポツダム)民主主義批判 を強く主張していました。そうした中で丸山真男的近代主義批判から橋川文三の日本ロマン主義の再検討や、滝田修「ならず者宣言」=壮士の評価、高橋和己や 白土三平「忍者武芸帳」、上野勝輝の「志士遠方より来たりて遠方に還る。」の史記刺客列伝評価など、極めてアジア的傾向を持っていました。これは寄場労働 者の船本洲治、山岡強一の韃靼海峡を越えた強制連行労働者との連帯の思想に通じるものです。


 後日、本書を読んで、アジアへのこだわりと近代主義批判は全く的外れではないけれども、 戦艦三笠や長崎出島、泉岳寺など日本各地を巡り、そこに表象される歴史を分厚く切りこみ、<日本における侵略と大アジア主義、中国における大中華思想と弱 小民族への蔑視>双方を批判の刃で己に返すということが基調の書籍でした。解説は「日中関係の未来を望む普遍主義―懺悔道としての紅葉狩」と題して中東研 究者の板垣雄三氏が好意と熱情を持って著しています。


1)60年代に青年であった世代

 著者の張承志氏は、中国文化大革命の先陣を切った精華大付属高中時代の1966年に「紅衛兵」と名付けた人であり、その後内モンゴルに下放し、日本にも何度か留学して、回教(イスラム教)の作家、知識人として活躍しています。年譜を見ると1948年北京生まれで、まさに戦後ベビーブーマーの典型であり、評者と同年代です。

張承志2

 実はこの本を読んだ時に感じた既視感や共感は 「1960年代に青年であった世代」であるが故に他なりません。張氏は2006年6月15日国会前の改憲阻止のデモに参加し、「彼らは、60代という年齢 も、ものともしない。魂は老いないのだ。」と共感を表しています。

張氏の原点でもある「紅衛兵の時代」(岩波新書1992)には、学生と教授、学生と官僚、学生派閥同士の戦いが生き生きと描写され、60年代世界同時的に起こった青年・学生の異議申し立ての戦いの共通性が強く感じられます。

紅衛兵の時代 (岩波新書)
張 承志
岩波書店
1992-04-20

同書によると、 当時の紅衛兵は鉄道旅行(下放)で、ただ乗りも含めてかなり自由に移動できたようです。1967年からは越境してベトナム戦争に参加したり、ビルマ共産軍 ゲリラに加わった紅衛兵もいたのには驚きました。

「ベトナムにせよビルマにせよ、越境して参戦した背景に国際政治あるいは原則が強く投影しているとは言え なかった。それは行動を渇望する60年代の中国青年の欲望そのものであり、60年代紅衛兵と知識青年の理想主義を表していた」。

90年代に入り回教族シャフリ―ヤ教徒となった張氏は「紅衛兵が持っていた造反、反体制の精神は結局、精神の自由の回復を目指す基層人民(底辺の人々)の戦いと結びつくことができ た。つまり20年かけて官僚批判を続けた末に、中国民衆の元に戻ったのだ。」と語っています。


 今日本でも60~70歳代の「60年代に青年であった世代」が反原発や安保法制反対で国 会前を始め全国で運動の先頭に立っています。

日本の60年代は、「60年安保闘争の10年後、1970年安保再改定という政治課題がカレンダーに書き込ま れた、極めて特殊な時代」(「私の60年代」山本義隆)でした。大学闘争、実力闘争など様々な戦いの中で「個人がバラバラに」(山本)なった、かつての青年学生が今登場していることをどう評価するのかが今問われていますが、それはまた別に論じたいと思います。



2)今改めてアラブ赤軍を論ず。-共感・対話・尊重・寛容

「革命の初心を忘れず、声なき声に耳を傾けようとする(板垣雄三)

張氏は、2006年長崎から九州、下関、広島、京都、東京都と旅をする中で、「熱狂的でか つ利己的な民族主義が、最も恐ろしい毒であることを」日本近代の様々な事象から論証しようとしています。

黒船、脱亜論。日清日露戦争、広島、長崎、キリシタン、忠臣蔵、岡林信康、文学と中国、大アジア主義などを論じ、返す刃で大中華民族主義を批判しています。日本の侵略主義と中華主義の共通項は<他者への 傲慢>に他なりません。

「他者の希望及び他者の尊厳は強国の夢よりももっと大切である。」ことが強調され、自己批判、対話、協働が訴えられています。


 全9章で構成されている同書の第4章は「赤軍の娘」と題してアラブ赤軍を中心に論じられています。しかも張氏は「この章にこだわっている」として、その理由を「パレスチナ問題とは世界紛争の主要な種であり、世界の硝煙みなぎる戦場の主因に関す る問題である。少数の勇敢な日本の青年が70年代の初め、自ら身を投げうちこの重病の解決に挑んだが、結局今では全世界に拡散し、不治の癌になってしまっ た。日に日に右傾化する日本への抗議も、赤軍を再論する理由だ。」として中東問題への危惧を表明しています。

更にこの「中国と日本」を著す理由として「妖 霧がまた立ち込めてきたからだ。」と言い、「世界が硝煙に覆われ、十字軍のきな臭い大戦争に巻き込まれ、また、革命に対する解体作業が着々とゆるぎなく進行しているからだ。」として危機感を訴えています。


 1972年5月30日の奥平剛士・安田安之・岡本公三によるテルアビブ・リッダ闘争につ いては特にページを割き、その国際性と献身性、パレスチナに対する共感と尊厳について論じています。

無差別発砲ではなく管制塔攻撃という戦術の危うさ、山田修、檜森孝雄の葛藤、リッダ闘争が世界にパレスチナ問題を突き付けた意義、アラブ人民が熱く敬愛してやまない岡本公三の政治避難などを、国境を越えた信 義と共感の実現としています。そしてアラブ赤軍はアジアの母の胸に飛び込んだ日本の子供として<帰亜>したと評しています。


 ではどのように私たちは現在の「妖霧」と立ち向かっていくのでしょうか。張氏は特にその処方箋を提起してはいませんが、第1には、「国家主権として戦争放棄を宣言した」日本国憲法第9条を人々の武器にすることを提唱しています。

「憲法9条の存在は、日本の侵略的民族主義への永遠の警告と歯止めであり、国民の陥りやすい大国パラノイア心理を抑え、国民の高尚な意味での民族の心と、そして国際的 な精神を引き出す役割」を果たしているからです。

第2には理想主義を捨ててはいけない、「あさま山荘の連中のやったことだけで、真摯な日本左翼運動を抹消 してはいけない」のです。「革命には暗い面があることを、中国人は決して忘れてはいない」が故に、その重い歴史を背負うということは決して「俗に媚びては」いけないのです。

第3に「赤軍のムスメ(誰を指しているのかは明白です。)」のような「新しい世代が生まれていること、新しい革命が始まっていること、古い革命と大きく違い、暴力や流血はないかもしれない、弱者を助けたい衝動は変わらない、殺される側に立つ正義」を発動する「平和を守る最終目標」は 変わらない運動を継続することです。



 第4章を中心に評してきましたが、日中両 国現代史を日本の様々な鏡を通して、自己批判を侵略への答えとする立場で真剣にルポルタージュした本書は、現在進行の安保法制、沖縄辺野古基地、原発再稼 働などと連動する論評になっています。

今回触れられませんでしたが、特に大アジア主義と中華民族主義に対する展開は、今後ますます検討しなければならない 課題です。

また同書で展開されている老アジア主義者服部老人の意味、草の根アジア主義、そして原爆・原発、赤穂義士を例とした<暴力>の問題など、まだ論 じたいことはありますが、また別の機会にしたいと思います。


                                2016.1.27

                            大越輝雄(オリオンの会)