行動すること・共感すること・持続すること

-5・14米国大使館・イスラエル大使館抗議行動報告(東京)
大越輝雄・オリオンの会

resize0016

■私たちが「オリオンの会」として再起動したのは、2013年<5・30リッダ闘争41周年記念座談会>からであった。それから5年、「5・30リッダ闘争集会」を主催し、岡本公三君への生活支援体制の国内構築を共通の役割としてきた。更に、進行する戦争準備攻撃―特定秘密保護法、安保法制、共謀罪、国家主義の強化、沖縄辺野古基地建設強行など―に異議申し立てをし、「反戦実行委員会」「9条改憲阻止の会」との共同行動に参加し、連続学習会を続ける中で、国際主義と直接行動の復権を模索してきた。その意味で個々人の経験と思索を軸にしたサークル集団の域を脱することができなかった。


■大きな変化は、第1に昨年末の人民新聞社山田編集長の逮捕と、それに関わる強制捜査―治安弾圧であり、第2にアメリカトランプ政権のアメリカ大使館のエルサレム移転であった。これは国内外におけるパレスチナ解放闘争支援運動に対する弾圧であり、城内平和的な民主主義闘争(参加と自立)すら圧殺するという支配階級の本性の現れに他ならない。
 私たちは「世界の人々と共に戦い続けよう!」(リッダ闘争46周年声明)をスローガンとして「オリオンの会」の役割として<行動する>ことを提案した。行動の意義は自己確認と、抗議の意思表明と、敵の攻撃の暴露である。
 「パレスチナの新たな蜂起『グレート・リターン・マーチ』と連帯し、共に、デモや集会を開始しよう!」として5月12日の「オリオンの会学習会―パレスチナの現状と私たちの役割」から5月14日米国大使館、イスラエル大使館抗議デモ、19日「パレスチナ・カフェ」、そして27日の「5・30リッダ闘争46周年集会」までの連続行動をJAPACなどと共に提起してきた。

■ここでは5月14日の大使館抗議行動について報告したい。
resize0021
 5月14日はトランプがアメリカ大使館をエルサレムに移転すると宣言した日であるとともに、1947年パレスチナ分割の国連決議を後ろ盾にして一方的に「イスラエル」独立宣言をしてから70年目に当たる。パレスチナ民衆は翌5月15日を「ナクバの日=大災危」として忘れることはない。
 私たちは抗議文を「日本語・英語・アラブ語」で準備し、直接担当官に手渡しすることを目的としました。また私たちの抗議行動が市民の皆さんにも伝わるように、抗議の意思を込めて、日本語、英語のプラカードを作成し、掲げることにした。
 当日16時に地下鉄溜池山王駅に集合し、三々五々集まるのを待っている間に、すでに抗議行動の情報を知っていたであろう公安数名とアメリカ大使館を警護する制服警官30名ほどが集まってきた。私たちはオリオンの会のメッセージを受けて参加した仲間も含めて15名ほどであった。制服警官の責任者と思われる者が、物馴れた様子で私たちに「どこに行くのか、アメリカ大使館には連絡しているのか。」などと話しかけ、「駅周辺では集会は出来ないので、JT会館まで案内します。」と言ってきた。もとより無届デモ(抗議行動に届けはいらない。)である私たちは、歩道をプラカードを掲げ、通行者にアピールし、特に警察に包囲されることもなく、米大使館の坂下交差点にあるJT会館前の広場に移動した。実はこの1か月前、反戦実行委員会主催の「米韓共同軍事演習に抗議し、南北朝鮮対話を成功させよう!」という米大使館抗議行動でも、門前まで近づけず、JT会館で機動隊に阻止されていた。この経験から私たちはその場で米大使館に電話し、「抗議文」を手渡ししたい旨の交渉を粘り強く行ったが、受け取りは拒否され、郵送抗議となったのである。
 私たちはその場でプラカードを下げ、隣の共同通信会館に行き、北海道新聞社など同会館に事務所を持っているマスコミに抗議文を手渡してきた。

■その後、18時過ぎにイスラエル大使館のある市ヶ谷駅で「パレスチナに献花を!」と合流し、米大使館のエルサレム移転抗議と、3月30日「土地の日」以降のパレスチナ民衆の抗議行動と、多数の死者、負傷者を出したイスラエルの弾圧に抗議するアピールを行った。駅頭での抗議行動は通行人の共感を呼び、立ち止まって私たちのアピールに聞き入市民も見受けられた。
resize0020
 1時間ほどの駅頭アピールの後、抗議文を渡すために、30人ほどで駅から10分ほどのイスラエル大使館に向けて行進した。いつもなら旧日本テレビの先を曲がったところにある大使館までは、警護の警察官はいるものの近づけたが、この日は所轄警察の阻止線が張られ、一切近づけさせないという姿勢であった。
resize0018

resize0019

resize0017
 「通せ、通さない」「抗議文を渡す、渡せない」という押し問答が小一時間続いた。警護の警察は所轄―麹町署?のためか指揮系統や方針が定かでなく、最終的に抗議行動を代表して2名が抗議文をもって大使館まで近づけることが確認された。報道カメラとしてIWJが同行したが、結局大使館前まではいけなかったようである。代表2名は門の鉄さく越しに抗議文を投函したが、大使館側は出てこないばかりか、奥でアメリカ大使館移転を祝ってか、70年前のイスラエル建国宣言を祝ってか、何やらパーティを開いていた様子であったそうである。

■確かに14日の米大使館、イスラエル大使館抗議行動はささやかな一歩かもしれない。しかし、「民族浄化としてのナクバ」(板垣雄三)、すなわちパレスチナ民衆の存在を賭けた戦いに共感し、持続的に連帯していくための大きな一歩であったことを何度も確認していこう。