闘病生活中の岡本公三さんの近況報告(1) 2021.01.07. オリオンの会


rr公三さんの写真

今後、時々に、岡本公三さんが政治亡命を認められて滞在しているレバノンでの闘病生活や取り巻く情勢についての報告を始めます。

現地の報告と言っても、岡本公三さん自身は、イスラエルの刑務所から捕虜交換で仲間のもとに還り、獄中での拷問と人体実験で統合失調症の治療を受けている生活状況が中心です。


さて現在、岡本公三さんはとても健康です。

昨年は、一時、投薬が体に合わなくなって変調をきたしましたが、入院して回復し、今では適切な常備薬治療で、彼が言うところの「世界一健康な日々」を過ごしています。

レバノンでも人口比では日本並みに感染症が蔓延しています。また、米国-イスラエルによるイランの民兵組織司令官の爆殺への報復を叫ぶイランとイラクの民衆の声に怯えるイスラエル軍の戦闘機が繰り返し飛来する緊張状況下です。

ですが、12月7日、公三さんの誕生会日が現地の「支える会」メンバーが集まり、ささやかなパーティで嬉しい時間を過ごしたようです。

その時の写真の一部を見て下さい。

岡本公三支援基金へのカンパのお願い

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 1972年5月30日、パレスチナ解放勢力との共同作戦で、イスラエルのテルアビブ(リッダ)国際空港で奥平剛士、安田安之、岡本公三の3人による銃撃戦が闘われました。

奥平、安田君はその場で戦死し、岡本公三君は逮捕され、捕虜としてイスラエル刑務所で苛烈な拷問を受けました。その後捕虜交換で釈放され、現在レバノンで政治亡命生活を送っています。イスラエルでの獄中生活で精神的、肉体的苦痛を受け、現在は現地のボランティアとともに、療養生活を送っています。


 オリオンの会は、現地支援者を中心とした岡本公三君の生活支援や医療支援の援助を続け、それをアラブ・パレスチナ解放の闘いに連帯する活動の一環としています。私たちの活動は、イスラエル、アメリカのパレスチナ圧殺に加担する日本政府による妨害によって困難を強いられています。

 私たちも細心の注意を払いながら、岡本公三さんの生活支援を途切れることなく続けていかなければなりません。


 皆さんの継続的なご協力、そして一時的または定期的なカンパをお願いいたします。


 下記口座への振り込み、またはオリオンの会メンバーへの手渡しでも結構です。必要な方は後ほど領収書を発送します。

 


<岡本公三支援基金の振込先>

 ●ゆうちょ銀行

  口座 10080-26778581  オリオンの会

 ●郵便府振替口座

  口座 00150-8-514141  オリオンの会

 


<オリオンの会連絡先>

  救援連絡センター気付 オリオンの会

   〒105-0004

東京都港区新橋2丁目―8―16



E-mail                1972orionstar@gmail.com

ホームページ      https://orionstar.jimdofree.com/

ブログ         http://orion530.blog.jp/

歴史の分岐点―1970年3月よど号H・J そして11月三島由紀夫自決

歴史の分岐点―1970年3月よど号HJ そして11月三島由紀夫自決

11・27 大越輝雄

 

 1970年3月31日、日航機よど号をハイジャックして、田宮高麿を始め9名の赤軍派が北朝鮮に旅立った。同じ1970年11月25日、三島由紀夫が盾の会の学生4人とともに市ヶ谷自衛隊駐屯地に乱入し、会員一人と割腹自殺した。

 

個人的な回想―獄中の1970年

 1969年11月6日、共産主義者同盟赤軍派中央軍は、前段階武装蜂起として、行政権力の頂点である首相官邸占拠を実行することによって自衛隊を引き出し、霞が関を包囲する憤激した民衆の決起によって世界同時革命の先端をこじ開け、ベトナムを始めとする世界の民衆決起と国際連帯を呼びかけようとしていた。実に主観的であり、呼びかけに応じて民衆は立ち上がってくれるという革命的楽観主義を背景にしたものであった。大菩薩峠軍事訓練に参加した56人のうち、多くの参加者は軍事訓練の後、下山してそのまま首相官邸襲撃という計画を知らないままだった。にわか仕立ての中央軍といっても過言ではない。20名ほどが未成年の高校生、労働者であったが、彼らの方が純粋に変革を求める確信犯に近く、学校、職場、家庭環境などの矛盾や差別などに敏感な層であった。彼らは未成年ということもあり結果として不起訴になったが、当時の社会は赤軍派関連者を受け入れるには政治的緊張が続いており、困難であった。よど号に乗ったYS、そしてM作戦のSなど多くのものは個人的な闘いをそれぞれの場で継続していった。

 大菩薩峠軍事訓練の行動は確かに公安警察にバレバレで、山荘で一網打尽という不甲斐ない結果になった。そして、加波山事件など自由民権運動急進派の爆裂弾に始まり幸徳秋水の大逆事件や大正アナーキズムを取り締まった公安罪―爆発物取締罰則が適用され、凶器準備集合罪、殺人予備罪なども加えられて起訴され、破防法の適用検討対象にもなった。彼らは16人の統一公判組を中心として獄中闘争を開始していった。「獄中組合」や「図書救対」「赤色救援会=モップル社」の結成、「獄中通信」を通しての論争の開始など、後に言われる〝人民の海″ネットワークに着手したのであった。

 1970年3月、私たちは獄中生活にも慣れ、公判準備と戦列への隊伍を整える時期でもあった。そうした時に突然拘置所のラジオは打ち切られ、官回覧新聞(読売新聞)が広告欄を除き真黒に墨塗りされて配られた。正直に言って、この情報封鎖は革命とまではいわないが、何らかの決定的な闘いが開始されたのではないかと期待に胸を震わせた。そうした日が4~5日続いただろうか。「赤軍派学生が日航機を乗っ取り、北朝鮮に向かった。」という話が漏れ聞こえ、新聞墨塗りも徐々に減少されていった。<ハイジャック>という表現もまだなかった時代の、この大胆な戦術に対して私たちは「断固支持!」の激を発信していった。

 そして同じ1970年11月25日、三島由紀夫の自衛隊東部方面総監部(当時)乱入、自決である。この日は大菩薩峠闘争の統一公判日でもあった。霞が関の裁判所は、市ヶ谷の自衛隊駐屯地と、皇居を挟んで反対側にある。今思えば、報道のヘリコプターが空を飛び交い、外の騒がしさは尋常ではなかった。すぐに弁護士から三島由紀夫決起の件を告げられたものの、三島の突入の意味を知るには限られた情報の中で時間がかかった。ただ「春3月の赤軍派のハイジャックと秋11月の皇道派三島由紀夫の決起」は左右の大きな分岐点という予感がしたものだった。

思い返せば、僕が大菩薩峠に搬入する鉄パイプ爆弾を福島経由で弘前まで受け取りに行く直前に観た映画は、中島貞夫監督、笠原和夫脚本の東映映画「日本暗殺秘録」であった。幕末からの日本暗殺史で、その多くはギロチン社、血盟団小沼正など大正、昭和初期の暗殺史であった。天皇制の「一君万民」や社稷の思想を前提としながらも農村疲弊や貧困を契機にした青年の決起に一部共感しながらも、僕たち左派との違いは<天皇>と<国家>が大きな分岐点であるという確信だけは持っていた。共感の背景は、血盟団などは少なくとも民衆の<下から>の決起が主因であったことである。他方三島由紀夫の決起は、11月25日の<檄文>の中で、「(アメリカ追随の)護憲の軍隊になるのか、(文化概念としての)天皇の軍隊になるのか」として自衛隊の決起=クーデターを呼びかけたように、天皇と軍隊を主軸にした<上から>の決起である。

 あれから50年、1970年の高揚感―赤軍派にとっては、国際根拠地で武装訓練し、同年秋の蜂起に向けた革命の輸出の実現、三島にとっては、自衛隊の決起によって憲法改正をして共産革命を阻止する使命の実行―という夢想は、歴史のごみ箱にばらばらに葬り去られようとしている。しかし、50年という歴史の幅は、語るものをして語らしめることによって終息するには、まだ生暖かい歴史の感触が残っているのではないだろうか。

 

1970年という歴史的制約と歴史的分岐点

 僕たち赤軍派を含む当時の青年、学生運動に対して、高度成長期の甘えと、30%ほどの大学進学率からエリート主義として、「長い髪を切って資本主義という現実に回帰していった」という論評で済ませることが通念になっているようである。しかし日本の高度成長は、重化学工業化と地方―農村の解体であり、教育―大学の産学協同による再編と世界分割戦―日本のアジア侵略の開始として分析され、1967年佐藤首相アジア歴訪阻止10.11月羽田闘争を先陣として、現地闘争、学園闘争として戦われていった。高度成長による生活様式の変化と個人主義の浸透に対しては、平和の中の息苦しさ、生きにくさがあり、その対抗軸として<自己否定><アンダーカルチュア―・対抗文化>として大きなうねりを形成していった。手法としては<直接行動>である。象徴としてのヘルメットにタオルマスクで学園であれ、三里塚であれ、反公害闘争であれ登場した。

 そこに大きく欠落していたのが、当事者性と歴史に向き合う姿勢であった。特に明治以降のアジア侵略と加害責任に向き合う姿勢である。当事者性としてはジェンダー(ウーマンリブからの糾弾)、環境・公害(水俣病患者からの糾弾)、アジア侵略(華青闘からの糾弾)、部落差別(狭山闘争)などが、70年安保闘争の匿名性の闘いの後、一斉に表面化したのであった。それはヘルメットとタオルの匿名性を拒否するものであった。

 1970年3月のよど号乗っ取りは、乗客に顔をさらすことによって、たとえ大きな誤りであったとしても本音の交流ができていった。11月の三島のバルコニー演説もまた、無残であったにせよ、三島由紀夫自身と楯の会をさらすことによってその限界を歴史的遺産として残していったのである。

話は飛ぶ。奥平、安田、岡本による1972年5月30日のテルアビブ・リッダ闘争は、匿名性からの脱却であった。学生の決起に共感し、東大全共闘との対話で「天皇という一言があれば諸君と共闘する。」と語った三島由紀夫はこの闘いをどう評価するのだろうか。一人一殺の右翼的信条ではなく、天皇でもなく、パレスチナ民衆の大義に基づいた国際連帯のリッダ闘争に対して、それでも「天皇」と呼びかけることが出来るのであろうか。

  いずれにしても、あれから50年である。

 1970年という年は「過激派」という表現が定着した年でもあった。警察―公安も機動隊による暴力的圧殺とともに、自警団―町内会も動員し後のローラー作戦も担保するソフト警察へ転換するとともに、内ゲバ、暴動、爆弾などの「非人道的」というネガティブキャンペーンによって、私たちが「人民の海」と言っていた支援網を解体し、反体制派?を浮かび上がらせ叩く作戦に出た年でもあった。この背景にはべ平連のジャテック(脱走米兵支援)支援網や、1970年11月20日沖縄コザ暴動のように民衆の憤激や爆弾ゲリラ闘争の多発などがあった。このように警察主導の下に市民、住民を扇動し、危険分子=過激派として反体制左翼の分離と抑圧を進めるという手法は、支配階級が1923年関東大震災における労働組合活動家、無政府主義者や朝鮮人虐殺に学んだ上でのシステムだということを決して忘れてはならない。そうした監視体制は、2001年アメリカ同時多発テロ以降のテロ対反テロという非対称的な戦争状態の中で、通常のこととなっている。

現在、国内の社会主義革命を基軸にした左翼潮流は解体もしくは停滞の状況である。労働の結合=労働組合は、組織労働者=本工主義としてむしろ非正規労働者、相対的過剰人口と敵対し、たとえ良心的部分でもせいぜい社会民主主義=福祉国家論である。環境破壊で存在すら危機にさらされるとともに賃金奴隷として搾取と隷従に置かれている民衆は、資本主義国だけではなく、中国も含めてグローバルに存在している。だからこそ私たちは「全世界を獲得する」世界同時革命の現実性を追求していかなければならない。ブラック・ライブズ・マター(BLM)は、政策反対闘争、人種差別反対闘争に止まらず、人類史―植民地というタテ軸と、ジェンダー―コモン、国際連帯というヨコ軸が結合した闘いになっており、私たちの闘いに大きな示唆を与えている。教訓を過去に滞留させるのではなく、現在進行形の世界と切り結ぶための、今を闘う総括実践方針とすることによって歴史の継承性が担保されるのである。

 よど号ハイジャック、三島由紀夫自衛隊突入、沖縄コザ暴動、そして12月18日京浜安保共闘の東京板橋上赤塚交番襲撃など、1970年は歴史的分岐点であり、その後の民衆の運動を予兆させる年でもあったことを新たに思い起こそう。

PFLPから日本赤軍の同志たちへ

日本赤軍の同志たちへ

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連帯の挨拶、そして、革命万歳!


毎年の5月30日、私たちは、国際的な帝国主義の手先・略奪者シオニストに占領されていたリッダ空港の襲撃闘争によってパレスチナ解放の大義に自己の生命を犠牲にした英雄たちを思い起こしています。

犠牲者たちは、敵は一つであり、抑圧と占領と闘うことは世界中の人々の任務だということ、パレスチナの大義は世界の解放と同一の大義であることを証明しました。


この記念日に、闘に道筋を指し示し、私たちの祖国の空に輝く星となった犠牲者の魂を敬います。

我が英雄的な犠牲者たちに栄光と永遠を!


解放闘争を闘う人々に勝利を!

パレスチナ解放人民戦線


(以下原文)

Our comrades in the Japanese Red Army,


Greetings and long live the revolution,

On the 30th of May of each year, we remember our heroic comrades who sacrificed their lives for the Palestinian cause, through the heroic Lod Airport Operation, occupied by the abductive Zionist entity, the offspring of international imperialism.

The martyrs have proven that the enemy is one and that fighting oppression and occupation is the mission of all the noble people of the wold, and that the Palestinian cause is the cause of all the free in the world.

On this occasion, we bow in respect to the souls of the martyrs who have become stars shinning in the sky of our homeland, to show us the path of struggle.

Glory and eternity to our heroic martyrs.

Victory to the people who fight for liberation.

The Popular Front for the Liberation of Palestine


岡本公三 5・30リッダ闘争48周年記念アピール

岡本公三 5・30リッダ闘争48周年記念アピール

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「連帯の挨拶」


相変わらず、元気に毎日を送っています。

「オリオンの会」の皆さんの活発な話を聞くと、少し嬉しい気になります。

5月は春たけなわです。日本では、梅の花が終わり、桜の満開も終わったでしょうか。

世界中で、コロナウイルスによる危機状況が続いています。


私の方は、外出禁止令の中では、日々闘っている人々のことを考えることにしています。

この世間には、初めがあって終わりがあり、コロナ危機の苦労をしながらも、いろいろな過ごし方があるようです。


私も、皆さんに負けないように、毎日を元気で生きていきたいと思います。

記念日の祝祭気分を楽しみ、コロナ危機の後の糧にして下さい。


ギャラリー
  • 闘病生活中の岡本公三さんの近況報告(1) 2021.01.07. オリオンの会
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  • 岡本公三 5・30リッダ闘争48周年記念アピール
  • 5・30リッダ闘争48周年声明  世界の民衆と、共に生きぬき、闘い抜こう!
  • 「5・30-リッダ闘争四八周年記念集会」の中止についてのお報せ
  • リッダ闘争47周年記念集会【新たな国際主義のための現状分析】廣瀬 純
  • オリオンの会学習会案内「今だからこそ、トランプのイスラエル―パレスチナ政策を批判する」
  • ベイルートにおける5.30記念集会・現在の岡本公三さんの様子